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翻訳は語学の仕事ではない、という極論

こんにちは。代表の谷口です。今回はやや刺激的なタイトルのコラムです。最後までお読みいただいた皆様に趣旨をご理解いただけるよう精いっぱい書いてみようと思います(笑)。

読んで字の如くですが、私は個人的な経験も踏まえて、「翻訳は語学の仕事ではない」と思っています(ちなみに、ここでいう「語学」とは狭義の語学、つまり一般に「英語力」「語学力」(英語とかスペイン語とか韓国語とかの能力)などと表現される場合の語学です)。もちろん、我々が提供している翻訳サービスは主に英語⇔日本語という言語間の翻訳サービスであり語学力は必須です。従ってTOEIC900点にかすりもしないような英語力なら和英・英和翻訳のプロとして品質・スピードを担保できるか疑問が生じます(実際にスコアを持っているかどうかは別ですが)。しかし、逆にTOEICやIELTSが満点あったら満足に翻訳ができるかというと、必ずしもそうとは限りません。語学力を生かした仕事(あるいは行為)、というイメージの先行しがちな「翻訳」ですが、語学力に拠らない部分が実は大きいのです。

そもそも、シンプルな定義に立ち返るならば「翻訳」という行為は言語間のみで行なわれる行為ではありません。有名な言語学者R・ヤーコブソンの定義を借りるならば、翻訳には大きく分けて言語間翻訳(interlingual translation)、言語内翻訳(intralingual translation)、記号間翻訳(intersemiotic translation)という3つのタイプが存在します。

「言語間翻訳」というのは、言わずもがな私たちが真っ先にイメージする「英語から日本語へ」といった翻訳です。書籍の翻訳や、戸田奈津子さんのような映画の字幕翻訳を想起される方も多いでしょう。

「言語内翻訳」はと言うと、端的に言えばいわゆる「言い換え(paraphrasing)」です。専門的なトピックについて大学教授が難解な専門用語を駆使した議論を展開している様子を見て、その内容をよく理解している人がそうでない人に向けてかみ砕いた言葉で解説しようとするとき、「これを翻訳するとつまり・・・」という言い方をすることがあるでしょう。こうした同一言語内での言い換えが「言語内翻訳」です。母親が他人には良く分からない赤ちゃん言葉を「いま『お腹が空いた』って言ってるんですよ」などと説明したりする行為もある意味これに該当します。

「記号間翻訳」は、ある記号を別の記号に変換することです。こう言うと少し分かりにくいかも知れませんが、例えば文字という「記号」で表現された内容を「映像」や「音」という記号で表わす行為を指します。文学作品の映画化などです。

まあ、3つ目までくると少々突飛な印象があるかも知れませんが、私は少なくとも言語間翻訳と言語内翻訳は無関係ではないと思っています。

少し話が飛びますが、私は24歳と比較的若くしてフリーランス翻訳者として一本立ちすることができました。手前味噌ながら大した社会人経験もなく新卒同然でフリーの翻訳者になれたのは、ふり返れば学生時代の訓練の賜物だったと思うのです。そしてそれは明らかに英語力の訓練ではありませんでした。

私はワシントン州シアトルの郊外にある四年制の大学に通っていたのですが、なぜか時を同じくして日本に住むある人物の思想に傾倒しており、その人物が話した言葉を文字に起こして編集するというアルバイトのようなことをやっていました。それは一応出版されるものでしたので、「わりと特殊な思想を持った話者の話し言葉(日本語)」(記号A)を文書に起こし、「わりと一般的な読者層に理解しやすい言葉(日本語)」(記号B)で発信するための編集をしなければならなかったわけです。正直、大学4年間は大学の勉強をしながらも完全にそちらの方に打ち込んでいたといっても過言ではないほどでした。

一見翻訳とは関係なさそうに思われるかも知れませんが、ここでは先ほど言った「言語内翻訳」が関わってきます。そして話し言葉(音)を活字にするというある種の「記号間翻訳」まで含まれていたわけです。そして、私の実感では、これが私自身が言語間翻訳を行なううえでの基礎となっているのです。

結局、言語間の実務翻訳でも「自分が分かる」だけではダメで「読者が分かる」ということが最終目標になります。「自分が分かる=語学力」の部分だけでは翻訳という仕事の半分にもならないのです。その点、「特殊な思想の話し言葉」を、その内容を損なわずに「一般人」に分かる文章で言い換えるという学生時代の訓練は実務翻訳においても非常に有用だったということです。そのためには話者の考えのみならず読者側の「常識」や大きく言えば「世界観」のようなものも理解しておく必要がありますし、そういうことを強く意識して文章を書いていたことが実に活きていると感じています。

特に語学力だけが優れていて、こういう「言い換え」のセンスがない人が翻訳者になると「本人は分かってるんだろうけど一般読者には意味不明」という訳文が生産されてしまいます。インプットされたものを租借して別の方法でスムーズにアウトプットするという外国語能力とは直接関係ない能力が欠けていると、そもそもまともな翻訳はできないのです。

私は正直「翻訳教育」というものにはあまり興味がないのですが、もし「翻訳」の勉強をしたいという人がいたならば英語など語学の勉強や英文和訳などの演習をするよりも、大学の難しいテキストを中学生向けに書き換えてみるとか、誰かの講演を文字起こしして記事にまとめてみるとか、そういう「言い換え」の訓練の方が総合的な翻訳能力の高い翻訳者が育つのではないかと思うほどです。特に、言語間翻訳の場合は例えば英語が日本語に変わっていれば何となく「訳せた」と感じてしまいがちですが、言語内翻訳では単なるオウム返しでは通用しませんので余計考えなければならないという効果もあるでしょう。

話が概略的になってしまいましたが「翻訳は語学の仕事ではない」の趣旨をご理解いただけたでしょうか。「では何の仕事か」というとなかなか難しいのですが、やはり全く異なる常識を持っているかもしれない人々の間に立って他方のメッセージを過不足なく伝えるという、大きな意味での「コミュニケーションの橋渡し」だろうと考えています。

最後になりますが、もちろん「語学力」が不要ということではないので悪しからず。他言語で表現された内容を完全に理解できる語学力がなければ翻訳ができないのは当然ですから・・・